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江戸が栄えた元禄(1688〜1703)頃から、大名や裕福な町人の間では茶会が盛んに開かれ、会席に膳が振舞われた。利休の「一汁三菜」わび仕立の茶会料理が江戸の上流社会に伝承されて懐石料理として完成、おもてなしの心に包まれた茶懐石は、江戸の食文化のモデルとなって開花した。洗練された塩味の壷焼塩の存在は、江戸時代の終焉とともに、忽然と歴史から姿を消したが、近年、江戸城、大名屋敷、社寺、料亭など江戸府内の遺跡から、往時の焼塩用の壷が大量に出土し、考古学によって壷焼塩の姿が蘇ってきた。

天文年間(1532〜54)に京都の洛北出身の藤左衛門という人物が、堺で壷焼塩を始めたと伝えられ、出土した焼塩壷には、「堺湊」の名が刻まれ、元祖「ミなと藤左衛門」の壷焼塩は、堺町奉行支配下の紀州街道沿いの堺湊村で生産されていたことが分かった。

堺は古くから「会合衆」とよばれる有力商人たちによって運営された自由都市であった。大和、京都への商品流通と南蛮交易で栄えたが、とりわけ応仁の乱をきっかけに、鉄砲、火薬の武器の製造や塩、塩蔵食品などの兵糧を調達する日本一の商業都市となっていく。茶人であり豪商であった千利休、津田宗及、今井宗久などが生まれ育った時期、堺はまさに絶頂期を迎えていた。かれらは織田信長に茶頭、御用商人として召抱えられ、京都の塩座と淀魚市塩座に対する支配権、但馬生野銀山の経営などの多くの商売上の特権を与えられた。

京都の公家、寺社、戦国大名との茶会をとおした交流から、京都を中心に戦国大名の間に堺の壷焼塩が広がっていったと考えられる。焼塩壷が発掘された城跡は、北の仙台城に始まり、富山、松本、岡崎、赤穂、福山城、そして岡山、小倉、熊本城、大分の府内城、鹿児島の鶴丸城と続く。また長崎では、豪商の屋敷跡ばかりではなく、オランダ商館の出島にも食卓塩として船に持ち込まれていたという記録がある。



江戸時代の壷焼塩はどのように創られたのか。その製法を代々秘伝として受け継ついだ大阪の難波屋の13代目弓削弥七の話が残されている。それは、先ず粗塩を石臼の中にいれ、粘りが出るほど細かに粉砕し、これを四斗の桶にためてから焼塩壷に入れ、天井のない窯につめて2日間以上焼き上げるものである。

第1日目は“あぶり”と呼ぶ松の割り木で焼き、2日目からが本焼きで、15時間くらい焼き続ける。焼き始めは、煙で壷が真っ黒になり、しだいに炎が赤くなり、やがてピンク色に変わるころに火をとめる。この過程の中で、粗塩に含まれた苦味がとんで塩角が取れた、サラサラとした粒状の焼塩ができあがるという。そして、出来上がった壷焼塩を他の容器に移さないでそのまま販売したのは、混じり物のないという品質保証であったといわれる。

塩は、焼くと800度で液化し、1300度を超えると気化するので、ぎりぎりの高温で焼いて仕上げる壷焼塩は、高度な技術と経験を必要とした。それに貴重な薪を大量に使うために非常に高価なものであった。粗塩を素焼きに詰めて窯で焼くという技法は、堺の地に塩の豊富な知識があり、炎を巧みに使う鉄砲鍛冶のノウハウがあったからこそ出来た技だと考えられる。壷焼塩は、塩味にこだわった焼塩職人が編みだした究極の塩で、焼塩壷の刻印はかれらの誇りでもあった。



“雪の如く白い粒状の焼塩”と賞賛された壷焼塩は、その繊細な塩味をめでた京の女院御所(徳川秀忠の娘、東福門院)より承応三年(1654)、「天下一」の称号を与えられた。延宝七年(1679)には美名「伊織」を鷹司殿より賜っている。これにともなって、焼塩壷の刻印は、「ミなと藤左衛門」から「天下一堺ミなと藤左衛門」、「天下一御壷塩師堺湊伊織」へと変化した。堺商人たちの茶懐石でつかわれた壷焼塩が、京都の上流階級の間で高く評価され、その淡白な塩味が京料理のかたちをつくったのである。百年の歳月を経て、堺の壷焼塩は京から江戸に伝わり、懐石料理を演出した。素材の持ち味を活かす軽やかで繊細な塩味、微妙な塩加減ができる壷焼塩は、きっと“利休好み”であったにちがいない。

江戸後期になると、江戸の湾内で獲れる魚介類を調理した江戸前の天ぷら、鰻、刺身、すしの屋台が繁盛、庶民の間に、もうひとつの江戸の新しい食文化が生まれた。

そして、料理本が大流行し、これまで料理人の口伝であったレシピ、料理法が広まり、大名に召抱えられていた料理人が八百膳などの高級料亭に雇われるようになると、東西二つの料理が融合して江戸独自の食文化が爛熟していった。料理屋で文人が集い、俳句、書画、陶器を鑑賞し “粋”や“遊び”を楽しむ、そんな彼らの宴の余韻を残すように、いま眠りから醒めた焼塩壷が江戸のロマンを語り始めている。

指導・出典 名古屋大学名誉教授渡辺誠先生 論文「焼塩」



著者略歴/昭和14年生まれ。塩問屋の栃木塩業三代目を継ぐ。平成9年、(協)日本塩商理事長に就任。同14年4月、塩の完全自由化に伴い、塩の専門商社をめざして、ジャパンソルト株式会社を設立。社長に就任。


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