中国料理が大好きである。中国育ちであるからだろう。第二次世界大戦後、日本へ引き揚げるまで約十六年を内モンゴル、山西省、吉林省などですごした。戦前、日曜日には家族三人で中国料理店へ行って美味しいものを食べさせてもらった。戦争が始まると軍人だった父は戦地へ行き、日曜の楽しみも無くなった。

今でも覚えているのは餃子の味である。
中国料理の中でも北京に近い地域なので北京料理の味である。もともと餃子は北方民族の料理が漢民族の手で大衆料理として完成、広がったもので、上海や広東、あるいは四川、客家料理の物ではない。

旧正月などは各家でこぞって餃子を作り、生のまま一晩あるいは二晩外においておく。

北だから出来る事で南や内陸の地帯にはむかない手法である。この寝せた餃子がほどよく肉と野菜の味が交わり、独特の美味しさをにじみ出す。

それをまず水餃子にする。スープ餃子ではない。お湯に入れてさっと上げてお皿に入れる。残ったら蒸し餃子。更に残ったら焼餃子にする。

この味が今でも舌に残っていて、日本で探すのだがどうしても見つからない。日本人に合う日本の中国料理になっているからである。

アメリカやヨーロッパにも広がる中国料理店も、それぞれの国の舌に合わせてあるので見つからない。

ある時、アメリカ、ユタ州を旅した時、ソルトレイクでこの想い出の味に接した。思わず「これだよ!」と叫んだものである。ソルトレイクは中国系の人が多い。西部開拓時代、ユニオン・パシフィックとウエスタン・パシフィックが東西から競争で大陸横断鉄道をひき、レイクの北で接続した。その頃、中国系移民の人たちが大勢労働者として働いた。鉄道開通後、多くの人がここに残り、故郷中国の味を伝えたのである。

餃子の味一つ。私はそこに様々な歴史を思うのである。


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