霧に包まれた四川の棚田や長江のそそり立つ峡谷のパノラマを見ていると、蜀の国、四川は“山を砕き、岩を削る”といった人間が自然に挑む凄さをひしひしと感じる。戦国時代末期に巴蜀を領土とした秦の孝文王(紀元前225年)のころ、蜀郡の太守に赴任した李氷(リーピン)は、氾濫する岷江(ピンコウ)を改修するため、四川盆地の治水工事に挑んだ。成都の北西50キロの灌県にある世界遺産「都江堰(トコウエン)」が、その代表的な治水工事である。これは水路を開削して流れを分ける離堆を築く工事である。民間の伝説では、李氷がこの治水にあたって龍を降し、祖先伝来の開山大斧を三度振るって玉塁山を開削したと語り伝えられている。
李氷は、潅漑により干ばつや水害から田畑を守り、実り豊かな天府の国の礎を築いた恩人として、四川の民から農業の神様に祀られた。
初めて四川を訪れたとき、井鉱塩は李氷の土木工事で偶然に見つけられたのではないかと想像し、中国の知人は「それが史実なら、大発見ですね」と真面目とも冗談ともつかない顔で応えたのを覚えている。今回、塩都自貢の塩業歴史博物館を訪れた折、昔の深井戸を掘る道具を展示した一角に李氷の胸像を見つけたのである。そこには、なんと! 「李氷は四川の塩の開拓者」と書かれているではないか。その系譜には、彼が自流井の採鉱技術のパイオニアとして井鉱塩の開拓に力を注いだ史実が記されていた。農業の神様である李氷はまた「塩の神様」でもあったのだ。この発見に心が躍る思いがした。
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