地球上の自然界には、塩は岩塩、湖塩、海水の天日塩のかたちでほぼ無尽蔵に存在する。岩塩は地中から採鉱(マイニング)され、太陽と風で自然に出来た天日塩・湖塩は収穫(ハーベスト)される。いずれも自然の恵みである。
しかし、わが国では、自然の恵みである岩塩も湖塩、天日塩も産出しない。海からの豊富な塩資源はあるが、雨が多く、乾季がないため、天日塩が採れず、昔からわが国では、海水を濃縮し煮詰めて塩を採ってきた。海水には約3%の塩分が含まれているが、この海水から塩を採るのに、多くの手間と時間、そして膨大な燃料を必要とした。
古代縄文・弥生時代は、海水を素焼きの製塩土器で煮詰める「直煮」で塩を採り、また、海藻に塩水をかけ、干して焼いた灰を海水で溶かし、そのうわ水を煮詰めて塩を採る「藻塩焼」と呼ばれる塩作りが奈良時代には行われていた。中世の「揚浜式塩田」は、海水を砂地にまいて水分を蒸発させ、乾いた砂に海水を注いで鹹水(濃い塩水)を作り、土釜や石釜で煮詰めて塩を採っていたが、やがて16世紀ごろには、潮の干満の差を利用して遠浅の浜に海水を引き込む「入浜式塩田」に発達していった。
そして戦後、ポンプで海水を汲み上げ、高所から竹の枝でできた枝条架に注いで、太陽と風で濃縮する「流下式塩田」による製塩が主流となった。昭和47年、塩業近代化措置法によって、全国の塩田を廃止し、イオン交換膜法による製塩法に大転換された。この時から日本の塩作りは、それまでの農耕的な一次産業の製塩法からイオン交換膜方式の製塩法に構造転換し、二次産業へ大きく変革したのである。
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