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「ママって『お誕生日のスープ』ね」
キッチンでアミが笑ったのは数日まえ。私はリークを刻んでいた。リークは日本では少量しか生産されていないせいで、とても高い野菜だ。でもどうしてもこのレセピには欠かせない材料だった。
「え? あ、ほんとにそう。自分でやるからね!」 私は苦笑いした。「お誕生日ぐらい、何もしないでごちそう食べたいかもね」
包丁を持つ手をとめて私はつぶやいた。「でも、パーティをやり始めちゃったから」
モーリス・センダックの絵が愛らしい『お誕生日のスープ』は「おかあさんがいない、もうじきともだちがくるのに」
クマ君はお誕生日にそう思って、大鍋に野菜を入れて、自分でスープをつくりはじめる。クマ君のともだちの猫やアヒルやニワトリがお祝いにやってきて、クマ君が自作のスープを出した矢先、ドアが開いて、おかあさんクマがバースデイケーキを持って現れる。
「やっぱりスープよりバースデイケーキがうれしいな」クマ君はおおよろこび。(『こぐまのくまくん』〈福音館〉)。
大好きなこの絵本から、〈自分でつくるお誕生日のごちそう〉を、うちでは「お誕生日のスープ」と呼ぶことになった。
あなたは、お誕生日をどういうふうに過ごしますか?
「六十過ぎたら、バースデイなんて考えたくない」というひと。
「いいレストランに食べに行く」というひと。
「ふだん私が作ってる分、思いっきり高いところで、亭主に払わせるのよ」にんまりするひとも。

もっとも、うちのお誕生日のスープには、小さなストーリーがついている。個人的に親しいホテルから、毎年バースデイケーキが贈られてくる。ていねいな手紙がまず予告して来て、当日に、家まで届けられる。もう十年以上つづいているのじゃないか。

バースデイケーキは、結構な大きさだ。とても小人数の家族では食べきれない。
巨大なケーキをまえに、頭をひねった。ある年はケーキの上にパルテノンの真っ白な神殿が載っている。二羽の鳩とバラの花のこともあった。美しいけれど、とても消化しきれない。一部をカットしてうちで食べ、あとの四分の三を、叔母の主催する女性の団体へ届けていた。

ある年、気づいて親しい友達に声をかけてみた。きれいなケーキのティパーティとしゃれてみよう。こぢんまりと十人ほど。ニューイヤーのような大人数でないから落ち着いて話しができるし、器もいいものを使える。お誕生日パーティ、これはいい、と気づいた。

その翌年、これまでとまったくちがうチョコレートと果物のしゃれたバースデイケーキが届いた。巨大デコラティヴでなく、上品でほどよいサイズだ。
「今年のは、すごくおいしい!」
「パルテノンよりしゃれてる!」大好評だ。



いくつになってもお誕生日!
しばらくして、ちょうどそのホテルでパーティがあったので、パティシエに会ってお礼を言った。今年から、ジョンさんというまだ若いパティシエがつくっていたのだ。お菓子のチョコレート部門の世界的なコンテストで優勝しているひとだと支配人が言った。
「私はチョコレートが好きなんで、チョコレートで作りました」彼が説明した。
「チョコレート! 私もチョコレート大好きなの!」

こうして、バースデイケーキのつくり手とつながった。お菓子やお料理も、つくり手と食べ手がたがいに顔がわかると、いちだんとおいしく、楽しくなるからおもしろい。
マーケティングの世界でも、つくり手と買い手が顔のわかる間になると、しっくりいく。高級な紳士服。和食の料理屋で、包丁をにぎる主人と客の対面性。お茶の精神もそれだ。茶懐石で亭主がひとつずつ差し出す器がお客のだれそれと名指しで出されるのは、熱さ、冷たさまで相手に合わせてあるから。

ジョンさんのバースデイケーキになってから、親しい友達とこのケーキを囲むのが恒例になった。当然、ケーキのくる誕生日当日だ。もうリタイアした人もいるが、現役の人が来やすいように、ランチタイムにかけて宵の口までやり、軽い食事も用意する。

読者に年輩の方がおられるようなら、今日は「幾つになっても、お誕生日のパーティをしましょう」の提案をしたいと思う。むしろ、トシをとったからこそ、バースデイを祝おうじゃありませんか!

その心は――新しいことへのチャレンジである。お金のあるなしは、問題じゃない、という認識を新しくすることでもある。

私の家は、築四十年以上の古い木造だ。外国なら築六十年、七十年なんてざらだけど、なぜか日本では「そろそろ建て替えたら?」と建築屋が勧める。
「あなたの家はボロ家だから、来やすいんだよね」
と友達が言ったように、世にはお金持ちの悲劇が多いのを知らなくちゃ。あまりな豪邸には、訪れるのをひるむのが人情だ。自分の家と同じ程度、もしくは「うちよりひどい」という家には気軽に来られる。

「お誕生日のスープ」がいいのは、イヤでも新しいことを仕入れるから。トシを重ねるとつい安易に流れて、昔のままのやり方でものごとを運びがち。これが人生の落とし穴だ。

毎年だから、新しいレセピを仕入れてお料理を作らなければならない。シャンパンは高いけれど、割安のスパークリングワインにも、炭酸水を注いでつくる安物と、樽でシャンパンと同じように発酵させてつくる少し上のランクがあることも知る。イチゴにクリームの泡立てでなく、パンナコッタを作って出すことにも、気がまわる。

習慣に流れず新しいことを取り入れる、友達とその新しさをわかちあう――それが「お誕生日のスープ」を敢えてする大きな意味だ。あなたの人生へのプラスだから、ぜひトライを。

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