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沖縄では、お年寄りから「塩は昔は薬だった」ということをよく聞きます。昔は海水で塩湯を作って病気の治療に使い、皮膚病になると治すために海水につかったりしたそうです。塩に浄化・殺菌の作用があることを経験的に知っていたのです。

古今東西、塩は清浄の象徴として神聖視され、塩は神と人間の契りのしるしとされ、塩は神事において特に重要な役割を果たしてきました。

イエス・キリストは神の子たるべき人々を指して「地の塩」といい、弟子達に「塩が物を腐らせないように神を信じるものは人も腐らせない、人の模範になるように」と説教をしたといわれています。また、旧約聖書には「塩の契約」という言葉があり、「捧げ物には全てに塩をかけて捧げよ」と、塩を通して神と人間、人間と人間の不変の契りを表し、わが国においても、塩の不変性から繁盛が変わらないようにと店頭に盛り塩をして商売繁盛を願う習慣が今でも行われています。また、伊勢神宮では、数々の神様へのお供えの中でも塩がもっとも重要なものとされています。

粟国島では数百年も続く野厳折目(ヤガンウユミ)という神事があり、バーイという飛び魚の塩漬けはこの神事に欠かせない大切なお供え物です。

この祭祀は、沖縄でもここ粟国島だけのもので、この神事を観るために多くの人が島を訪れます。その昔、島の野厳という地域で災害を及ぼすという魔の神を、北山王(今帰仁城主)の命を受けた平敷大主がお神酒とバーイを供えて魔の神を鎮魂し、島に平和をもたらしたというのが始まりだといわれています。平和をもたらした神々に感謝と祈りを捧げる島の最大の神事として今日に受継がれていて、祭が始まると、この祭祀を司る七人の神人(カミンチュ)が島の西集落にあるエーガーに鎮座して、一心不乱に祈りを捧げ神々を迎えます。神々は三日間、島中を駆け巡り島に豊穣と健康をもたらします。また、旧正月にはマースヤー(塩売り)という、島民の健康と子孫繁栄、豊穣を祈願する歌や踊りの賑やかな行事も行われます。

このように粟国島の神事に於いても常に塩が深く関わっています。琉球の時代から沖縄の人々は自然塩と深く結びついていて、海岸線に接する地域の住人は家単位で自家用の塩を作っていました。粟国島でも潮が引いた後にできる水溜りのような海岸の自然の穴(ヒレー)が家ごとに決まっていて、その穴を使って海水を天日で濃縮し、さらに海水を炊き上げるという方法で、島民は平等に海塩を得ていたのです。また、沖縄の過酷な暑さの中を生き抜くタンパク源になる魚や肉類を、腐らないよう塩漬けにするためにも塩は欠かすことが出来ないものでした。

大昔から、塩は生きていくために欠かすことの出来ない「命の塩」であり、清浄と不変の象徴として神と人間の「契りの塩」であったのです。


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