店主敬白・其ノ弐拾参







「和食」と「日本料理」。この言葉の使い分けについて、ふと考えてみた。

どちらの言葉も日本の伝統的料理、または日本的料理という意味を持っている。「日本料理」と言うと、どうも堅苦しい。「和食」と言うと、伝統的という意味が薄れて軽い感じがする面がある。しかし、私自身もそうだが、「和食」と言う方がどちらかと言えば多いのではないだろうか。ただ、業界に於いては、料理人の協会等、どこにも「和食」という文字は見当たらない。公式なものには必ず「日本料理○○○」となっている。

「和食」という言葉は洋食等に対比する場合、つまり、「和食にする? 洋食にする?」というような会話の時は、寿司やそばも含まれるけど、「和食にする? それとも寿司にする?」として、寿司やそばと切り離して使用する事もできる便利な言葉である。

世界がグローバル化して、外国の料理法や材料を用いる事が多くなった現在、「和食」という、あまり規定のない言葉はますます便利になってきた。日本料理の現場でも、中国のピータンであれ、フランスのフォアグラ等も前菜などで多々使用されている。フォアグラ等は、ぺーストになっていて、日本料理の食材屋でも販売されていて、利用勝手は相当良い。

このような材料を使っていると、「和食」という言葉は気楽に使えて良いし、さらに、こだわる事もなく外国の物を使ってみようという気になる。


先日も、これだけフォアグラを使っているなら生のフォアグラをサクッと和食にしてみたいと思い挑戦してみた。

先ず仕入れだが、ハンガリー産の良質のものがすぐ手に入った。軽く塩をして焼いてみたが、素材そのものの味は、なかなか濃厚でまったりとしておいしい。問題は、これをどう料理するか、そして、どのような味付けにするかである。

先ずは洋食的に、塩と胡椒をしてバターでソテーしてみた。おいしいけれど感激する程ではない。醤油、味醂等、色々割りを替えて味付けしたが、これが全て合わないと言うか、それ以上に本来の持ち味を壊してしまうのである。なかなかうまく行かない。やはり、この様に濃厚な旨味をもった食材は、その旨味を閉じ込めるべきではないかなと言う事になった。


それでは本場フランスはどうしているのかなと思い、書籍で調べてみたが全て練ってしまった料理しか出ていない。

たまたま、アメリカにいる知人にその話をしたら、ハワイですごくおいしいフォアグラを出すレストランがあるとの事であった。彼は、三日後にハワイに行くし、そのレストランを予約しているとの事だった。マネージャーもよく知っていると言うので、是非、教えてもらってくれと頼んだ。

その答えを待っていたら、レシピまでおいそれとは教えられないとの事であった。彼は、サンフランシスコの某有名ホテルのレストランでもすごくおいしいフォアグラを出しているから、また、そこのシェフも知っているから、そこで聞いてくれるとの事であったが、やはりだめだった。が、別の有名なレストランのシェフに聞いたと言って、二通りの調理の材料表を送ってきた。ただ、材料しか書いてなくて、分量も調理法も書いていない。相手のシェフは、これだけ教えたのだから後は自分で考えろとの事であった。

いずれにしても、私達が考えつかなかった材料である。本当に良い勉強になる。そこで、何回か試作してかなり良いものが出来上がってきたが、まだ味のバランスがとれていない。それでも成功する予感はできた。しかし、これが成功しても、それをどの様にして日本料理に替えるかという問題もある。

まあ、それは今やっている事が成功したらヒントがつかめるだろうと、今は目の前の事に熱中している。


話は変わるが、先日「カレーライスは、日本で生まれて日本で育ったのだから、日本料理ではないのか」と質問された。私は「インドにないとしても、アイデアはインド料理で洋食屋さんが育てたものだから、日本料理とは言えない。無国籍料理になるのかな」と答えた。料理のグローバル化は、明治の頃すでにあったのだとつくづく感じさせられた次第である。我々も、もっともっと勉強して、カレーライスの様に偉大なる不朽の名作を作り出したいものである。



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