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ここのところ、頻繁に福岡を訪れている。何故かと申すと、現在住んでいる家が計画道路にひっかかってしまうので、数年後には立ち退かねばならぬことが決定してしまった。その住まいを、両親の故郷である福岡に移すべく、下準備をしているからである。

五十年の間暮らして来た土地と家は、心情的には立ち去り難い。しかも、家の周りには百年は優に超えるだろう松の大木や見事な山桜が覆い繁り、到底二十三区の一角にあるとは思えぬ風情だ。新たにこんな環境を手に入れるにしても、こればかりは不可能であろう。だが、家の横の道路は四メートルほどしか幅員がない。年に数回接触事故も起きている。となれば、現在の緑多き環境を後々の人達の為になるべく残すという条件を突き付け、僕は潔く九州の福岡に終の棲み家を移そうと考えているのである。

そんな訳で、月に一、二回の割り合いで福岡の地を踏んでいるが、やはり東京と異なりちょっと市街地を離れると、そこかしこに畑があり太陽の恵みを受け作物はすくすくと育っている。東京で暮らしている僕らは、ビルや建物が林立している中でしか青空の広さを識ることが出来ないが、何もないところでの空の大きさというものは、唸るほどに広いということを忘れていた。やはり、空と太陽は、地球上に命を受けた全生物の為にあることを、改めて実感するのである。

Kubota Tamami
という次第で、然る後福岡に無事移住出来たならば、絶対に実行したいのが、小型の手押し耕運機を手に入れること。出来るだけ広い農地を耕したいと願っている。植えるものは、四季の野菜とさつま芋と決めている。何故さつま芋というと、小学校の時と中学校の時に学校の授業に農作というのがあり、秋には全員で芋のつるを絨毯を巻くようにはがし、後で残った根の部分を一人二株くらいずつ掘った思い出がある。この時の体験は、大変楽しく今でも鮮烈に心の中に残っている。

だが、かなりの面積に芋の苗を植えるとなると、大量の芋の収穫がある筈。いくら僕が芋好きであっても食べ尽くすことはできないだろうし、友人達に送ったとしても左程は喜んでは貰えないだろう。そこで、芋といえば、焼酎。昨今は大の焼酎ブームで、芋焼酎のブランドだけでも数百はあるだろう。そんな中で今売れ筋なのは、芋を用いながら芋らしさを感じさせない洗練されたものが増えたようだ。幸いなことに、僕の知人に焼酎造りの名人がおられる。その方にお願いして特別限定生産の『だん酎』というのを醸して貰おうと秘かに願っている。

考えてみたら、名エッセイストの玉村豊男さんは長野に広大な農地を栽培され、そこにブドウを植えられて自家製のワインを醸造されている。そのワインは飲んだことがないので味については語れぬが、もう三年先の予約が入る程の人気であるとか。今からブドウ造りは無理としても、芋ならば一年で収穫出来るし、焼酎の生産も半年はかからない。もし出来がよければ、瓶の中で数年寝かせてビンテージの『だん酎』を世に問うことが出来るではないか。

そりゃー、醗酵の為の大壷を買って蒸留器を揃えられれば言うことはないだろう。だが、僕自身の持ち時間に限りがあるし、事業免許とか醸造の勉強をせねばならぬ。ま、今回の一生は芋作りに専念致し、生まれ変わった後に自家製の極上焼酎を醸すとしよう。と言ったって、焼酎造りの蔵元の製品は中々手に入らぬ名品。果たして、『だん酎』の味はどうなるものだろうか、販売はしないから、贈った方の評価が今から楽しみでならない。


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