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年を重ねて来たからなのだろうか、最近は市販されている食べものに対して、微妙に拒絶反応を持つようになっている。別に、アレルギーのような病的なものではないのだけれど、何を食べても余りおいしいと思わなくなってしまったのである。

この原因は、明らかだ。鮮魚や野菜は別として、加工されている食料品には、多かれ少なかれ何らかの添加物が加えられていることに起因する。勿論、流通という時間経過という課題を抱えている商品には、万が一という事態があってはならないことは理解出来る。それだけに、生産者は製品の安全を保持するという理由で、各種の添加物を用いることになってしまうのであろう。また、安全基準として、賞味期限や消費期限が厳格に明記されるようになった。このことが火種となって、世の中の様々なメーカーの商品が物議を醸している。このような出来事が問題になること自体おかしな話と思うが、行政の確たる方針の欠落もその一因である。内部告発により、社会問題に発展するのが常とは、情けないの一語に尽きる。

と同時に、何で家庭の中で簡単に作れるものを、高いお金を払って買うのであろうか。確かに、毎日のように報道されている中国産の餃子は、家で手作りをするより安上がりであるらしい。僕は、そこに落とし穴があると考える。いくら安いからといって、気軽に出来合いのものを食べてしまうことに大いなる疑問を感じてしまう。中国原産の素材の一部には、かなり以前から残留農薬があることが懸念されていた。にも拘らず、生協のような市民を守るはずの団体が、安さだけを求めて生産を依頼していた事実は理解出来ない。

別に吹聴する積りはないが、我が家ではかなり前から、自分達の手で出来ることは労を厭わずに作ろうと考え実行して来た。このことは、独立した二人の息子達の家庭にも反映している。例えば、魚の干ものだが、新鮮なアジなどが手に入った際、食べ切れないものは面倒でも干ものにしてしまう。背開きか腹開きにして、海水よりやや濃い塩水にしばらく浸し、その後天日に干すか夜風に当てて一夜干しする。この際、一切化学調味料は用いない。アジ本来の旨味を、敢て損なわない為にである。 勿論、住宅事情などを考慮しなければならないが、最近はピチットシートなるものが市販されていて、塩水に浸した魚をそのシートに包んで冷蔵庫に入れて置けば、翌日にはおいしい干ものにありつける次第。

Kubota Tamami

漬けものにしても同じこと。ちょっと工夫して、ネジで押しの効く漬けもの器などに余った野菜を漬ければ、おいしくて安全な漬けものが堪能出来る。適度な塩と昆布や唐辛子を加え、ネジをクルクルと廻しておくだけのこと。糠味噌だって、昔はどこの家庭にも存在した。漬かり過ぎて古漬けになったものは、刻んで炒飯など混ぜたり、塩抜きをしてカレーライスの薬味にしたりと、工夫を凝らして食生活を組み立てていたように思う。

残念ながら今の日本は、都会に人口が集中してしまい、完全に核家族化現象が起きている。こうなると、祖母や祖父といった方々からの生活の知恵が伝授されなくなるのは必定。次第に、消費のみの生活に陥ってしまうだろう。

料理をするということは、僕は極めてクリエイティブなことと位置付けている。今晩のおかずは何にしようかとか、冷蔵庫の中には何が残っているだろうかとか、頭を悩ますだけで脳を活性化するのではないだろうか。アジやイカの干ものが、洗濯物と一緒にぶら下がっている光景も楽しいし、おいしく出来たキムチで友人達と焼肉を味わうのも、素晴らしい生活だと心から思っている。



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