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「ダンさん、エイば食べらっしゃーですか」
近所に住まわれている漁師さんの奥さんに声をかけられた。もとよりエイの煮付けは大好物だったので、遠慮なく頂きますと返事をした。

小一時間ほど経ってから、自転車の荷台に乗せられたエイがやって来た。大きなポリ袋に入れられたエイは、かなり大きい。いやいや半端な大きさではないようだ、しかも袋の中でバタバタと暴れまくっている。恐ろしかったのは、時折グエッグエッと叫ぶのである。これは、奥さんの話だと呼吸をしている音だそうだ。

「ではこれ、上に小さかバッテンカレイの入っとりますけん、空揚げにでもして食べなっせ。エイは、もう少ししたら静まるやろ」
ハイと渡されたポリ袋の重さは十キロ近くあるのでは、とても片手では持ちきれるものではない。よく見ると、六十センチから七十センチの大きさだ。頭の部分の厚さは優に十センチは超えている。その実態を知った時は、正直なところ気軽に頂いてしまったことを大後悔。

今まで扱ったエイは、大きくても三十センチ大。尻尾には毒針があるから切り取ってあったが、この大きさは食べるというより水族館で眺めるサイズではなかろうか。聞くところによると、我が能古島の周辺にはこうしたエイがかなり居るそうで、これは小さい方であるようだ。時折、サシ網にかかるそうなので好きならまた持って来るとか…。

Kubota Tamami
兎に角、頂いた以上は何としてでも調理をせねばならぬ。生きているエイが少しおとなしくなるのを待ち、台所へと運んだ。でかいの一語に尽きる、奥行き七十センチの調理台が狭く感じる程である。こうなると、まな板は枕のようなもの。滑り止めにタオルを何枚か敷いて、先ずは金タワシで表面のヌルをこすり落す。表と裏で十分はかかっただろう。幸い、長男の嫁がアシスタントに付いてくれたので思ったより捗る。と、云うより、彼女がメインで僕は口を出すだけの厄介な舅に過ぎない。嫁は二十代の前半で生物学の博士号を取った才女。

「私は実験で動物を切り刻んでますから大丈夫です、血は全然怖くありませんから」
こうなると、もう僕の立場はない。メスならぬ出刃包丁を彼女に託し、ヌルを落し終えたエイの解体は任せることにした。
「先ず、頭に沿って固いところと内臓を取り出して下さい。エイの殆どは軟骨ですから包丁一本でどこでも切れますよ。滑り易いので、呉々も手には気をつけて下さいね」
僕は、口を出すしか術はない。驚いたことに、我が名アシスタントはグロテスクな内臓が姿を現しても怯むということは一切ない。黙々と包丁を入れて行く。頭を落し、中骨に沿って包丁を入れて行くと、見事左右に二分された。次は皮を削がねばならない。これが、難事業。普通の魚であれば布巾で身を押さえながら上下どちらかに引っ張れば、何とか皮は剥がれて行くもの。だが、このエイは大き過ぎる。一旦はペンチで皮を引っ張ってみたものの、ペンチが滑ってどうにもならない。致し方なく、少しずつ薄い包丁を皮下に当てがいながらこさいで行く。本体の解体よりかなり時間はかかる。

三十分くらいは格闘したであろうか、どうやらピンク色した身の部分だけとなってくれた。素晴らしいお嫁さんの働きで、巨大なるエイは見事なる切り身と変身。適宜に切り分けた身をさっと湯引きをして、醤油、酒、味醂、砂糖で煮付ける。刻みショウガと唐辛子を加え、臭みをとる。落とし蓋を施し、二十分くらい中火で煮たら完成。見かけは怖いが、味はすこぶるおいしい。

残りは水気を切って、空揚げ。煮付けは、冷蔵庫に入れておくと翌日は素晴らしい煮凝りが出来る。コラーゲンたっぷりの美容食に、嫁さんは大満悦の様子。


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